「別れ」はなぜ悲しいか?


                                             Ty  2006年3月11日

年度末も近づき別れの季節です 別れは悲しいものですが 分かれることによってもたらされる何について悲しいのか? 考えてみます

そもそも別れとは悲しいものです 仏教が挙げる8つの苦しみにも含まれています 愛別離苦です この場合愛する人と別れる(死別する)のが悲しいということです では愛する人と別れることによって何が悲しいのか?

一つは時間の共有の喪失でしょう それまでは一緒に時間をすごしてきた人ともう2度と 一緒にすごせない。 そういうことです もう一つは空間の共有の喪失でしょう 例えば同じ部屋にいることもなくなれば 同じ車で出かけることもなくなります それが悲しいのです では対象が人でない場合 例えばある競技からの引退などは何が悲しいのか もちろん自分のチームとの別れも悲しいでしょうが 今回は純粋に競技からの別れについて考えてみます これは所属の喪失でしょう 今までは野球なら野球という競技に所属し その中でそれなりの役目をはたし 自分の中でも野球は大きな地位を占めてきた それらを失うことへの不安 ただこの悲しみはさらに2つに分けられると思います つまり、 競技における自分の存在を失う悲しみと 自分の中の一部を失う悲しみです 存在の喪失と自己の喪失ともいえるでしょうか ただ、一つと競技から引退するときは 必ずその競技を通して 時間と空間を共有してきた仲間との別れをともないます さらにその共有した時空が 喜怒哀楽の激しいものであればあるほど 今後共有できないことへの悲しさは大きくなります だから、この悲しさは何か なんて考えられませんよね。

まとめると別れの悲しさの根底は 時間を共有できなくなることへの悲しみ 空間を共有できなくなることへの悲しみ あるものにおける自分の存在の喪失への悲しみ 自分の中の喪失への悲しみ 今のところこの4つです 「別れがあるからこそ出会いは愛しい」 とはいいますが、 やっぱり僕は別れなんてない方がいいと思います。

PS
意外にもこの部屋へのアクセスが増えてきたのであわててコンテンツ増やしました。
実はこの文章はここが初出のものではありません。僕のブログのものです。まあでも僕のオリジナルなんでいいかなあと。また深く考えます。